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日本の伝統楽器、和太鼓。この和太鼓というとても原始的な楽器を全ての人々の「健康で心豊かな生活づくり」のためにどのように活用できるのかを研究・実践・修養する機関としてNPO法人をつくり、日々活動しております。スタッフのいろいろ報告ブログです!

我が家の裏庭で毎年花を咲かせてくれる蘭…

引っ越して来た時に、実母が置いてくれたもの。

今年も白い花をつけてくれました。



この蘭、冬も戸外で寒さに耐え

人の手で『水やり』をされたこともない

(つまり、年がら年中ほったらかしの…)

かわいそうな蘭なんです(涙)DSCF0066.jpg



花をつけてもはじめに気づくのは私ではなく

うちの家族でもなく、裏の家人…

『カナさん(私のこと!)、

また蘭が咲いてるで~。

それにしてもよぉそこまでほったらかしで

花が咲くもんやな…

そんなん、聞いたことないわ…』と。


裏の家人はベテランの花屋さんなので

毎年びっくりされます…


そして毎年最後に

『さすがはカナさんとこの蘭… 

 根性が違うわ…』  と。

そうなんです。

我が家では蘭までもが

自立・根性・気合いで花を咲かせるのでした



この蘭とは気が合います。



ふじおか











 

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太鼓教室開始の4月と、10月の時期は、各クラスどんな太鼓をつくろうか??と
歩きながらも、レッスン中も、もちろん風呂やトイレの中でも
何をしているときも考えていたりします
だんだん、担当させていただくクラス数も増え、頭をひねりにひねっているわけです
 
大阪・天満橋の金曜クラスと、神戸の水曜午前のクラスで
シャッフルリズムを使った曲をしようと考えており
ある程度プランが固まってきたので、
運転中、おもしろい口唱歌(くちしょうが)ないかなーと思い浮かべていたのです
 
テッケテッケ、ドッコドッコ、テンテテンテ・・・ 等々 いろいろ言い方ありますわね
カップ、タップ、チップ、ロック なんていう言い方も できるな?
ドッコドン というのに
かっぷめん! なんていいかも♪ ・・・いささか気が抜けるか
こういうのはどうだろ
格闘技好きな僕なりに
ドッコドッコドッコドン を
チョップパンチキックドン なんて
最後の「ドン」は炸裂音・・・。んん。・・・ちょっと生々しいか
 
ふと今向ってる方角のことを考えると
淀屋橋(ドコドコドン)や、御堂筋(ドコンコドン)。
大阪の地名って、2拍子や4拍子な感じ。
天下茶屋(ドンドコドン)、森ノ宮(ドコドコドン)、
天王寺(ドンドンドン)なんてのも
2拍・4拍にしっくり。
 
っていうか、関西弁の発音自体が、
もちっとしつつ、出だしの発音にアクセントのある音色・イントネーションだから
拍頭で刻む、2拍系に合うのかもね
 
そんな風に考えていると
・おっちゃん おばちゃん これなんぼ (ドンドン ドコドン ドコドンドンウン)
おおー 当たり前に繰り広げられていることばが、2拍子の気持ちいい響きだ
 
・せやねん どやねん なんでやねん (ドコドン ドコドン ドンドコドン)
文章になってないけど、よく使う、相槌及び突っ込み系も、いい感じの2拍子系。
・おもろい はなし しってんねん (ドコドコ ドコドン ドンドンドン)
関西は2拍子リズムの都なのではないか!?a07388c2.jpeg
 
考えはますます膨らみ
そういえば天神さんのお囃子リズムが
ヅンヅカ ヅンヅカ ヅッカン カンヅカ
と2拍で組み立てられたリズムだったことに思い至り・・・
そーか、そーか、そーなのだっ
っと何だかつぶやく言葉までノリが出てきて
方言と言葉リズムの研究なんてのも、
民俗学的で面白そうだなーなど考えつつe4733402.jpeg
さらにぶつぶつ続けていると

今まさに通っている、
 「阪神高速・神戸線」 「阪神高速・環状線」
 
おお、これも関西弁で唱えると2拍子な感じやなぁと
にやりとしつつ、ますます一人うなずきながら
大阪教室への道中を
今日も太鼓車で疾走するヨシタクでありましたd9dafadd.jpeg
 
 
来週5月9日は、
楽座有志で東大阪市民ふれあい祭りに出演です!
当日、晴れたらいいですね!!
明日は、その練習会。ドカドカ楽しくやりましょう。
 
よしたく








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3-2.JPG
そしてラストを飾るのは、
もうひとつの学校、リシバリースクール
 
25日、クリスマス当日の朝6時にポンディチリーを車で出発して、約7時間の行程で到着。
南インドのかなり内陸部に入っているので、岩山のような光景の中で現れた森、その中に学校はあった。
30年前に始めた時に、木を植えることから始まり、自然環境についても非常に意識の高い取り組みをしている学校である。子どもたちも環境に対する意識は高い。3-6.JPG
子どもたちの食事はすべて、学校の周囲の畑で、学校スタッフ(近隣の村人)がつくった有機野菜で調理され、それを3食食べる。
牛を飼い、乳をしぼる。その乳製品ももちろん子どもたち用。
 
全校生徒は4年生(日本人と同じ学年)~12年生まで約500名ぐらいだろうか。
ここの学校は前述のアーシュラムとは違い、学費はかかり、どちらかというとお金持ちの子どもたちが来ている傾向が高いそうだ。
 
シヴァさんの娘のハスちゃんから色々話を聞く。3-5.JPG
この学校は、「シンプルに学び、生活をすること」を基本的な理念として、やはりここでも人間としての教育に重点をおいているようだ。
子どもたちは、学校(寮)にお金を持ち込んではいけない、ゲームや携帯などはもってのほかで、学校でのさまざまな学習、スポーツ、芸術活動以外のものは厳しく持ち込めなくなっているようだ。服装も派手なものはだめ、テレビもなく、土曜日の夜にみんなで映画鑑賞をしたりはするみたい(実際ボクが行っている間にも土曜日があり、「オーストラリア」という洋画を見ていた)
朝は早く起床し、夜は早くに休む。ヨガやインド伝統芸能にも取り組むという。
 3-7.JPG
 
学習を自主的に行うようなプログラムがいくつも用意されているようで(このあたりは詳しく聞けなかったが)、高校生になると、大学のゼミのような活動をしているのかな?という感じがした。課題を見守る先生たちの目は、きっちりシビアなようだけど、子ども自身、この「プロジェクト」にはかなり気持ちを入れて取り組んでいるようなニュアンスだった。
言葉じりから、生徒がこの学校にいることに誇りをもっているような感じだったなあ。
それにしても、どこまでもシンプルに「学びに純粋に取り組める環境」が用意されている寄宿制の学校に集う子達が、比較的お金持ちの娘さん息子さんということが、日本ではちょっと考えられませんよね。日本はお金があれば、ちょっとでも高学歴が身につく通学制の私立学校に入れたいという親が多いのを考えると。
どこに入れるか、でなく、どう育てるか、に親の関心があるということでしょうか
 3-1.JPG
子どもたちの様子で、驚き+αだったのは、
大勢の人数で話を聞く場面になったとき、最初はわいわいがやがやしていても、何かのきっかけ(先生かな?それとも生徒自身かな?)で一気にしーんとおしゃべりを止めて、話をしようとする人の方をくっと皆が見るということ。
このメリハリが聞くというか、聞こうとするときのまっすぐな眼差しが、鳥肌ものでした。
言いすぎかもしれないけれど、“知性”を感じました。
このことは、ボクが演奏を行う時も同じで、大きな石造りの素敵なホールで約500人の生徒すべてが、まっすぐな視線・態度で向かってくれているというのは、演奏のしがいがあるってものですよ!
 3-3.JPG
演奏もワークショップも、そんなこんなで、たいへん生徒の皆さんに助けられたことは言うまでもありませんね
人懐っこい子どもたちは、演奏後のボクを見つけると、必ずみんな寄ってきて、声をかけてきてくれるのでした
 
さて、このリシバリースクール、
前述した「オーロビンドアーシュラム」のスクールと共通して言えることは
地域の人々が不可欠な存在としてあることですね
日本で最近取りざたされている“食育”を、地で行くようなこの実践
地域の村人スタッフが労働力を学校に提供して、
作物を育てて収穫し、牛を育てて乳をしぼり、
ご飯をつくり、学校やさまざまな施設のメンテナンスをする3-8.JPG
地域の人たちの支えなくして、この学校は成り立たないわけですよ
このことがとても素晴らしいところだと思うのです
 
 
と、まあ、こんな感じで
南インド学校訪問してきました
インドそのものから受けるもの
学校から学んだもの
旅だからこそ得たもの
…英語が通じない・わからない(そりゃそうよ95%関西弁だもんな)ことでの冷や汗もありーの、
リゾートではない一週間、シャワーから湯が出ないなどのハプニングによる若干のストレスもありーの
ゆるゆるなところに助けられつつ、時にゆるゆるなところに苦虫つぶし
でも、非常に貴重で濃密な体験がたくさんできたこと
シヴァさんと、そのご家族、
たくさんのみなさんに感謝したいと思います。
この1週間、本当にありがとう。ありがとう。3-4.JPG
これにて、南インド学校見聞録はおしまいです。
長々と失礼いたしました。
 
 
 
さて、そして皆様、今年も一年、本当にお世話になりありがとうございました。
この充電期間で得られたものを、「和太鼓教育研究所設立5周年」という形で
力いっぱいやって参りたいと思います。
何とぞ、来年もよろしくお願いいたします。
 
では、よいお年を!!!
 
ヨシタク
 
 
 

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“インド”。

2-4.JPG
行ったことのない日本人が抱く印象って、何かしらあると思う
ボクもそのイメージが、しっかりと自分の中に存在した
でも行ってみて思った。
…これは、世界を旅した人なら誰でも気づくことかもしれないけど、ね。
ボクら日本人のイメージというものは、「日本人」の「生活様式」や、「文化」や、「慣習」諸々を大前提としつつ、そのフィルターを通して見ているなぁ
例えばインドの人々の、生活の中で、裸足でいる人が普通にいるということ
例えば、車のクラクションが絶え間なく鳴り響くということ
例えば、ベジタリアンが多いということ
「なぜ?」「考えられん」と思うのがボク達日本人
でもそれは既に、自分が知らず知らずのうちに身につけているフィルターを通して見ていると思う。
別にそれは良いとか悪いとかいうことでもないのだろうけれどね2-2.JPG
でも、そのフィルターを通して見ているうちは
インドの人々の生活や人々そのものを、本当に理解することはできないよなぁ
 
 
そもそも。
広大な国土を持ち
(学校で習ったときの地図のインドって、小さく見えたけど、ホントはかなり広い)
そして人口は11億人、
北から南までさまざまな地域があり、民族・言語・宗教も多岐にわたるこの国を、
十把一絡げに「インド人」と見ることもなかなか出来ないわけです
食事に行くと、ベジタリアンか、ノンベジタリアンか、確認されたりもする。2-1.JPG
ベジタリアンの食事って、質素かと思いきや、
種類も豊富、さまざまな調理方法と食べ方があるから驚き。
僕も俄かベジタリアンとして5日間ほど過ごしました。もちろん禁酒もですよん♪
しかしね、炭水化物をたくさん取るし、食前食後のチャイ(ミルクたっぷりのインド紅茶)には砂糖がたっぷり入っているし、これはこれでしっかり食べた感があり、しかもなんだか太りそうな腹のたまり具合なのね。やみつきになりそうな。おっとアブナイ…
 
 
2つ目の学校「リシバリースクール」への道中に通る街や村は
インドそのもの、むきだしのインドだった
日本にはない風景や街並み、そして人々の顔つき。2-5.JPG
もちろん、車でびゅんと通り過ぎるだけだから、一面しか見えてはいないけれども。
牛がどこにでもいる…街の中で放牧がふつう!? 牛車が荷を運び、車と並走する。
稲を手で植える村人もいる一方、大型収穫期が道路を走る。
バイクを2人で乗るのは少ない方。5人乗りのツワモノ多数。
 
 
よく見かける光景で気づいたこと。
立ち話をする人、日陰で座って話をする人。
複数が集まって、話をしている姿をよく見かける。
井戸端会議なのか、情報交換なのか。2-3.JPG
ここにも人間として生きていくために必要な“原点”があるような気がした。
いろいろな人と、じっくりと向かい合い、「話をする」ことの大切さ。
人と人がつながる手段として「話をする」。
忙しすぎる日々、携帯やパソコンの普及、
顔を見て、じっくり話し込むことはなかなかしづらい私たちの世の中。
このことは、「教育」という子どもを育てる営みの中でも
そのしわ寄せが行っていないだろうか。どうなのだろうなぁ。
 
豊かさと引き換えに失いつつあるかもしれないものを
マイペースに、活発に生きるインドの人々に
さまざまに教えられている気がしました

つづく

よしたく

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かねてから、南インドに行ってみたいと思っていた。
 
そのきっかけは、太鼓教室で知り合ったシヴァさん。
シヴァさんは、もともと南インドの方なのだけれど、今は神戸で仕事をされている。
娘さんと息子さんが、インドの寄宿学校に入っていると聞き、その様子を少し聞く限りではなかなか、かなりの、ユニークな学校であることがわかった。970b27bb.jpeg
興味を抱くボクに対して彼は、
「先生、一度見に来ない?」
と誘ってくれていたのだ。
そしてこの12月と1月の間の時期に何とか時間が確保でき、晴れて、今回の旅が実現したわけなのです。
 
計画を進めていくうちに
「どうせ行くなら、1つでなく、2つの学校に行こう」
「見るだけでなく、簡単な太鼓の演奏とワークショップをしてこよう」
と話はふくらんできた。その結果、
シヴァさんの地元で、シヴァさんが子供時代に通ったこともある、南インドはポンディチリーにある「オーロビンド・アーシュラム」のスクールと、当初より行く予定であったチェンナイより北西6時間のところにある「リシバリースクール」(寄宿制)の2個所を廻ることにした。
また、ボク一人で簡単な太鼓の演奏を行い、子どもたちとワークショップを行うために、1尺5寸の軽い太鼓を手配して、1台持っていくことにした。
 
21日に仕事納めをして、1-4.JPG
22日の朝10時に、関空からのフライト。
ところが、、、ですよ。
相変わらずガキっぽいのか、心構えが足りんのか、運が悪いのか…(または全て?)
一週前の木曜あたりからの寒波の影響で喉の調子が悪かったのが
旅の当日朝が、一番最悪のコンディション。
小さい子どもは、遠足当日に熱を出すというけれど、
それとまったく同じ状態に  >_<
国外へ出て、南へと飛んでいる最中、
熱にうなされ、もだえ苦しむヨシタクなのでした、とほっ。
 
乗り換えを行ったバンコクで、さすがに悪寒がひどかったので、「フィーバー!」と薬局で片言英語、解熱剤をゲット(なんと150円)。5時間の待ち時間のうち、3時間を椅子の上でのびていました。
おかげで熱は下がってきた感じで、ほっ。
 
そんなこんなで始まった旅の幕開けだったのですね。
23日の深夜にチェンナイ国際空港につき、空港の感染体温チェックでは顔が真っ赤なのに、画面を見ていないインド人。南国のゆるさは素晴らしい。
そして、外に出ると。
想像してはいたのだけれども、そこは確かに、“南国”でした。
高い湿度と気温、昨日まで真冬の国にいたことを忘れる熱気。
なんとなく鼻につんとくる甘い匂い。なんだろな?
何より、夜12時だというのに、人の多いこと、
ひっきりなしに鳴り響く、車のクラクション。
病み上がりのボーとした頭に強烈なイメージ。1-3.JPG
インドはとても元気な国なのだと思いましたね。
 
23日はポンディチリーに向かう道中に観光して、シヴァさんのお家に到着。
夕方にさっそく「オーロビンド・アーシュラム」のスクールに行きました。
ここは寄宿制ではなく、公立の学校でもない、地元の子どもたちが通う民間の学校。
子どもを通わせている、日本人のミマさんという方に出会い、話を少し聞くことができたのだけれど、教育理念は「人間としての教育」ということにあるのだそうです。
 
フランス人が60年ほど前?につくり、学校だけでなくポンディチリーにあるさまざまな施設を建設したそうで、学校の維持はさまざまな寄付によりまかなっている。54.JPG
だから、公立ではない、民間であるにも関わらず、その授業料負担を親にさせず、むしろ極端に安いらしい(ほとんど支払っているとは言えないような額とのこと)。
先生もアーシュラムの施設に住み込み、食事と住宅が保障されるとのこと。
街の中にはアーシュラムの関係者のための大食堂があり、そこで1日300円弱ほどで3食が食べられるのですね。ボクも24日の昼に一緒に食事をしてきたのだけれど、大学の学食より大きくて立派な施設にたくさんの大人が食事時には集ってくることに驚きました。こんなにスタッフが街の中に大勢いるのかと。びっくり。
ただし、給料はポケットマネー程度が支給されるのみ、つまり教職員は、アーシュラムの先生をしたくて集ってきている人ばかり、ということなのですね。
夕方の時間の子どもたちの様子をみていて、15人以下の人数で、アートの活動をしていました。午前が学習活動、午後が芸術やスポーツの活動ということ。
指導法も、基本的に自分のやりたいことを伸ばしていくことに重点をおいているのだとか。
詳しくはわからない点が多々あり、この学校自体が非常にユニークであるのに違いないのだけれども、それがこんなにポンディチリーの街の中に溶け込んでいるということに、とても驚きました。
 
言ってみたらね、神戸市中央区三宮あたりの街のど真ん中に
幼稚園~高校までの私立の学校があって
街の人々を大きく巻き込んだ形で運営されていて
授業料はほとんどかからない・・・
子どもたちは非常にノビノビと学び育っている。
そんな学校、日本で想像できますか???
 
ポンディチリーは植民地時代、フランス領土であり、フランス人しか住んでいなかったそうで、そのことがこのような一風変わった新しい教育の取り組みを行うことに対して、非常に寛容であったのかもしれないな?
寛容だけでなく、よいと思うことを迷わず受け入れて、日々営々とつないでいく南インドの人々の心のありようにも色々考えさせられ、感じることがありました。41b9a83e.jpeg
 
そうそう、そして24日にはここで演奏とワークショップ。
10時45分から45分間、ボクの一人の演奏2曲を前後に、間をワークショップという構成で行いました。
急に日程が決まってのこの機会だったので、20人程度集まったらいいよ~なんてシヴァさんは言っていたのに、なんとなんと、集まる、集まる。
小学校の低学年クラスから、高校生のクラスまでほとんどの子たちが、会場の芝生広場(美しい芝生の広場が会場。暖かい冬ってステキ♪)や、そこが見下ろせる周囲に集まり、おまけに地域の人々まで見にきたみたいで、300人強はいるんじゃないか?
それでも子どもたち、真剣にみていましたね。しーんと。
そしてワークショップは太鼓が1台しかないから当然、代表で数名しかできないのだけれども、代表の子たちが思ったよりうまく出来なかったりする(太鼓ってそうよね)のを、みんなで、おおウケしていました。
楽しさを共有できること、単純なこのことも、実はとても大事なことではないでしょうか
 
無事、演奏とワークショップは終わり、
日本の太鼓や、このような芸能を見たのは初めてだったようで、えらく好評をいただきました。
今回のアーシュラムでの取り組みをまとめてくださった先生には、
「スィーユーアゲイン!!」
と力強く笑顔で握手されました。
 
※ちなみにアーシュラムでの写真は撮らせてもらえなかったので今手元にはないのですが、学校の生徒が撮影していて、それを焼いてくれるということになりました。いつくれるんだろう・・・?

つづく

よしたく

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