“インド”。
行ったことのない日本人が抱く印象って、何かしらあると思う
ボクもそのイメージが、しっかりと自分の中に存在した
でも行ってみて思った。
…これは、世界を旅した人なら誰でも気づくことかもしれないけど、ね。
ボクら日本人のイメージというものは、「日本人」の「生活様式」や、「文化」や、「慣習」諸々を大前提としつつ、そのフィルターを通して見ているなぁ
例えばインドの人々の、生活の中で、裸足でいる人が普通にいるということ
例えば、車のクラクションが絶え間なく鳴り響くということ
例えば、ベジタリアンが多いということ
「なぜ?」「考えられん」と思うのがボク達日本人
でもそれは既に、自分が知らず知らずのうちに身につけているフィルターを通して見ていると思う。
別にそれは良いとか悪いとかいうことでもないのだろうけれどね
でも、そのフィルターを通して見ているうちは
インドの人々の生活や人々そのものを、本当に理解することはできないよなぁ
そもそも。
広大な国土を持ち
(学校で習ったときの地図のインドって、小さく見えたけど、ホントはかなり広い)
そして人口は11億人、
北から南までさまざまな地域があり、民族・言語・宗教も多岐にわたるこの国を、
十把一絡げに「インド人」と見ることもなかなか出来ないわけです
食事に行くと、ベジタリアンか、ノンベジタリアンか、確認されたりもする。
ベジタリアンの食事って、質素かと思いきや、
種類も豊富、さまざまな調理方法と食べ方があるから驚き。
僕も俄かベジタリアンとして5日間ほど過ごしました。もちろん禁酒もですよん♪
しかしね、炭水化物をたくさん取るし、食前食後のチャイ(ミルクたっぷりのインド紅茶)には砂糖がたっぷり入っているし、これはこれでしっかり食べた感があり、しかもなんだか太りそうな腹のたまり具合なのね。やみつきになりそうな。おっとアブナイ…
2つ目の学校「リシバリースクール」への道中に通る街や村は
インドそのもの、むきだしのインドだった
日本にはない風景や街並み、そして人々の顔つき。
もちろん、車でびゅんと通り過ぎるだけだから、一面しか見えてはいないけれども。
牛がどこにでもいる…街の中で放牧がふつう!? 牛車が荷を運び、車と並走する。
稲を手で植える村人もいる一方、大型収穫期が道路を走る。
バイクを2人で乗るのは少ない方。5人乗りのツワモノ多数。
よく見かける光景で気づいたこと。
立ち話をする人、日陰で座って話をする人。
複数が集まって、話をしている姿をよく見かける。
井戸端会議なのか、情報交換なのか。
ここにも人間として生きていくために必要な“原点”があるような気がした。
いろいろな人と、じっくりと向かい合い、「話をする」ことの大切さ。
人と人がつながる手段として「話をする」。
忙しすぎる日々、携帯やパソコンの普及、
顔を見て、じっくり話し込むことはなかなかしづらい私たちの世の中。
このことは、「教育」という子どもを育てる営みの中でも
そのしわ寄せが行っていないだろうか。どうなのだろうなぁ。
豊かさと引き換えに失いつつあるかもしれないものを
マイペースに、活発に生きるインドの人々に
さまざまに教えられている気がしました
つづく
よしたく
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