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日本の伝統楽器、和太鼓。この和太鼓というとても原始的な楽器を全ての人々の「健康で心豊かな生活づくり」のためにどのように活用できるのかを研究・実践・修養する機関としてNPO法人をつくり、日々活動しております。スタッフのいろいろ報告ブログです!
かねてから、南インドに行ってみたいと思っていた。
 
そのきっかけは、太鼓教室で知り合ったシヴァさん。
シヴァさんは、もともと南インドの方なのだけれど、今は神戸で仕事をされている。
娘さんと息子さんが、インドの寄宿学校に入っていると聞き、その様子を少し聞く限りではなかなか、かなりの、ユニークな学校であることがわかった。970b27bb.jpeg
興味を抱くボクに対して彼は、
「先生、一度見に来ない?」
と誘ってくれていたのだ。
そしてこの12月と1月の間の時期に何とか時間が確保でき、晴れて、今回の旅が実現したわけなのです。
 
計画を進めていくうちに
「どうせ行くなら、1つでなく、2つの学校に行こう」
「見るだけでなく、簡単な太鼓の演奏とワークショップをしてこよう」
と話はふくらんできた。その結果、
シヴァさんの地元で、シヴァさんが子供時代に通ったこともある、南インドはポンディチリーにある「オーロビンド・アーシュラム」のスクールと、当初より行く予定であったチェンナイより北西6時間のところにある「リシバリースクール」(寄宿制)の2個所を廻ることにした。
また、ボク一人で簡単な太鼓の演奏を行い、子どもたちとワークショップを行うために、1尺5寸の軽い太鼓を手配して、1台持っていくことにした。
 
21日に仕事納めをして、1-4.JPG
22日の朝10時に、関空からのフライト。
ところが、、、ですよ。
相変わらずガキっぽいのか、心構えが足りんのか、運が悪いのか…(または全て?)
一週前の木曜あたりからの寒波の影響で喉の調子が悪かったのが
旅の当日朝が、一番最悪のコンディション。
小さい子どもは、遠足当日に熱を出すというけれど、
それとまったく同じ状態に  >_<
国外へ出て、南へと飛んでいる最中、
熱にうなされ、もだえ苦しむヨシタクなのでした、とほっ。
 
乗り換えを行ったバンコクで、さすがに悪寒がひどかったので、「フィーバー!」と薬局で片言英語、解熱剤をゲット(なんと150円)。5時間の待ち時間のうち、3時間を椅子の上でのびていました。
おかげで熱は下がってきた感じで、ほっ。
 
そんなこんなで始まった旅の幕開けだったのですね。
23日の深夜にチェンナイ国際空港につき、空港の感染体温チェックでは顔が真っ赤なのに、画面を見ていないインド人。南国のゆるさは素晴らしい。
そして、外に出ると。
想像してはいたのだけれども、そこは確かに、“南国”でした。
高い湿度と気温、昨日まで真冬の国にいたことを忘れる熱気。
なんとなく鼻につんとくる甘い匂い。なんだろな?
何より、夜12時だというのに、人の多いこと、
ひっきりなしに鳴り響く、車のクラクション。
病み上がりのボーとした頭に強烈なイメージ。1-3.JPG
インドはとても元気な国なのだと思いましたね。
 
23日はポンディチリーに向かう道中に観光して、シヴァさんのお家に到着。
夕方にさっそく「オーロビンド・アーシュラム」のスクールに行きました。
ここは寄宿制ではなく、公立の学校でもない、地元の子どもたちが通う民間の学校。
子どもを通わせている、日本人のミマさんという方に出会い、話を少し聞くことができたのだけれど、教育理念は「人間としての教育」ということにあるのだそうです。
 
フランス人が60年ほど前?につくり、学校だけでなくポンディチリーにあるさまざまな施設を建設したそうで、学校の維持はさまざまな寄付によりまかなっている。54.JPG
だから、公立ではない、民間であるにも関わらず、その授業料負担を親にさせず、むしろ極端に安いらしい(ほとんど支払っているとは言えないような額とのこと)。
先生もアーシュラムの施設に住み込み、食事と住宅が保障されるとのこと。
街の中にはアーシュラムの関係者のための大食堂があり、そこで1日300円弱ほどで3食が食べられるのですね。ボクも24日の昼に一緒に食事をしてきたのだけれど、大学の学食より大きくて立派な施設にたくさんの大人が食事時には集ってくることに驚きました。こんなにスタッフが街の中に大勢いるのかと。びっくり。
ただし、給料はポケットマネー程度が支給されるのみ、つまり教職員は、アーシュラムの先生をしたくて集ってきている人ばかり、ということなのですね。
夕方の時間の子どもたちの様子をみていて、15人以下の人数で、アートの活動をしていました。午前が学習活動、午後が芸術やスポーツの活動ということ。
指導法も、基本的に自分のやりたいことを伸ばしていくことに重点をおいているのだとか。
詳しくはわからない点が多々あり、この学校自体が非常にユニークであるのに違いないのだけれども、それがこんなにポンディチリーの街の中に溶け込んでいるということに、とても驚きました。
 
言ってみたらね、神戸市中央区三宮あたりの街のど真ん中に
幼稚園~高校までの私立の学校があって
街の人々を大きく巻き込んだ形で運営されていて
授業料はほとんどかからない・・・
子どもたちは非常にノビノビと学び育っている。
そんな学校、日本で想像できますか???
 
ポンディチリーは植民地時代、フランス領土であり、フランス人しか住んでいなかったそうで、そのことがこのような一風変わった新しい教育の取り組みを行うことに対して、非常に寛容であったのかもしれないな?
寛容だけでなく、よいと思うことを迷わず受け入れて、日々営々とつないでいく南インドの人々の心のありようにも色々考えさせられ、感じることがありました。41b9a83e.jpeg
 
そうそう、そして24日にはここで演奏とワークショップ。
10時45分から45分間、ボクの一人の演奏2曲を前後に、間をワークショップという構成で行いました。
急に日程が決まってのこの機会だったので、20人程度集まったらいいよ~なんてシヴァさんは言っていたのに、なんとなんと、集まる、集まる。
小学校の低学年クラスから、高校生のクラスまでほとんどの子たちが、会場の芝生広場(美しい芝生の広場が会場。暖かい冬ってステキ♪)や、そこが見下ろせる周囲に集まり、おまけに地域の人々まで見にきたみたいで、300人強はいるんじゃないか?
それでも子どもたち、真剣にみていましたね。しーんと。
そしてワークショップは太鼓が1台しかないから当然、代表で数名しかできないのだけれども、代表の子たちが思ったよりうまく出来なかったりする(太鼓ってそうよね)のを、みんなで、おおウケしていました。
楽しさを共有できること、単純なこのことも、実はとても大事なことではないでしょうか
 
無事、演奏とワークショップは終わり、
日本の太鼓や、このような芸能を見たのは初めてだったようで、えらく好評をいただきました。
今回のアーシュラムでの取り組みをまとめてくださった先生には、
「スィーユーアゲイン!!」
と力強く笑顔で握手されました。
 
※ちなみにアーシュラムでの写真は撮らせてもらえなかったので今手元にはないのですが、学校の生徒が撮影していて、それを焼いてくれるということになりました。いつくれるんだろう・・・?

つづく

よしたく

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