いやあ先日の太鼓の時間も
“苦戦 苦戦 苦戦”でした。
蒸し暑い京都。
5歳児の太鼓の時間。
一見しっかり音は出ているのですが、雰囲気がなんかしっくりしないので、
打っていた子どもの太鼓を途中で止めました。
妥協したくない、のぐちせんせいお得意の
「ちょっとまって・・・」(沈黙)。。。。。。。。
“こういうの現場的にはこまるンよねえ・・・”
と保育士さんの心の声が聞こえそうですが、
見えないフリ、聞こえないフリは、
祖先が柴犬の のぐちせんせいは特技。
おもむろに「こんなんしてみよか」と言って突然太鼓を打ち出す。
周りの子どもが聞いていようがいまいがあまり気にしていない。
それどころか、子どもの集中力が無かろうが、
あくびをしてようが「こんなんは?」といって打ち続ける。
でも・・結構子どもって見ていないようで
見てるしちゃんと聞いてるんです。
「やってみよう」のひと声で、一緒に音がなればなんとなく打っている。
そうそうこのズルズル感とアバウトに繋がっている感じが大切なのよ。
と自分で自分に励ましながら、本心は結構焦ってたっけ・・・
子どもは、自分を好きな大人はみんな好き。
自分に一生懸命に向かってくれることが信頼の証。
私とこのクラスの子ども達は、太鼓の日、再会するとハグをして再会を確かめ合う。
いつしか自然にするようになった。このハグが、月2回しか合わない私とのへその緒。
これをし始めてから、内容で行き詰まったとき、
少々ダレダレでもブーブー言いながらでも私の「ちょっとまって」に付き合ってくれる。
通常の保育という観点からは、よくないことなのだと思うけれど、
和太鼓の時間は、子どもと創る生きた時間だと思っている私には、
“うまくいかない悪戦苦闘”も大切なのだ。
というより、こういう感性を使いながら、保育者の方々と共に
子どものことを精一杯考えて苦労するのは、この仕事冥利と思っている。
「生みの苦しみ」とはよく言ったものだ。
目の前の子ども達にとって、
周りの大人(私たち)のありったけの感性と感覚を駆使して、
“君たちにピッタリ”って思える太鼓の演目を創りたいです。
まだまだ苦戦の日々は続く・・・
のぐち みさお
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