高校の授業を3回させてもらった・・・という話の
最終章を書いていませんでした
この2週間ほど、いろいろ立て込んでおりまして
あっちゃこっちゃ走り回ってて書けんかったのです
授業ラストの3回目も、1回目と同じく月曜日の一限目でした。
なにせ先週の月曜日のことなのでうろ覚えだなぁ、と思ってたけれど
授業のビデオ撮影していたのを
そういやぁ、DVDに落としていなかった と
そのダビングを並行しつつ、授業ブログを今日は書くのだ
せやけど、オレってなんで指導中
こんなにジェスチャー多いんだ!?
自分をヨコメで見つつ、自分がこっぱずかしーぃ うは
とにかく、目に見えるような反応があまり感じられない、な?
とまあ、そんな生徒さんたちだったので
パフォーマンス性やフリの大きさ等に
重点をおくのでなくて
打つことの課題をたくさん盛り込み
それをこなす中で、何かしら感じたりしてくれればよいなぁ
と3回目もテンション高く(ボクだけ、ね いつもどおり?ね)
いったわけです。
研究という意味合いもあるので、
曲の中にできるだけ他者を意識したり、
感じたりする場面をつくろうとやっておったのですが
途中まで、いつもの太鼓指導の時と同じく
合いの手声を張り上げていたのですが
案外、太鼓の音そのものを、高校生がよく聞いている感じがして
太鼓の音同士、しっかり聞きあうことも
他者を感じる一つだなと、
途中からあまり声を出さないでおこうと変更。
そしたら小さい音なんかは特に
集中して、よく合ってるやん!
今のこの子達にとって
声かけはほどほどに
太鼓の音のみで感じあうことの方が
よっぽど“ストレート”なのかもしれないなー
そんなこともちょっと思いました
最後は、クラスの半々に分かれて
成果発表会をしました。
最後まで、表に出さない表現者たちだったけれど
帰り際、自称・野球部というドカベン的男子君に
「来年も太鼓しにきてくださいねー」
と言われて、少しは感じるものあったかな??
とちょっと嬉しくなりました
この反応の薄さは朝飯くってないんか?
それとも体温がもともと低いんか??
などなど身体的な側面から、
これまでの育ち、友達関係等々の心理的側面まで
「なんでだろ?」と考えることが多かった今回の授業でした。
彼らへの質問結果を、明日分析かけてみようと思います。
ヨシダ